ブックタイトル甲斐日産60th
- ページ
- 24/54
このページは 甲斐日産60th の電子ブックに掲載されている24ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 甲斐日産60th の電子ブックに掲載されている24ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
甲斐日産60th
プロフィール清水武人(しみずたけひと) さん 昭和40年入社後、当時のトラック販売部門へ配属。後にローレルの販売開始を機に乗用車も担当。在職46年間ずっと営業畑を歩みながら所長(店長)、営業次長、同部長、営業統括部長を経て常務となり、平成23年に退職。現在は中古車販売業を自営し、地域の人たちからの相談を受け、主に農業機械や産業機械を多く扱っている。圧巻の日産車コレクション 甲斐日産に46年間勤務していたOBの清水武人さんは、社員の中でも知る人の多い日産車のコレクターだ。自宅から150mほど離れた場所に間口25mの巨大な車庫を所有し、そこにはセドリック(昭和36年製)、シルビア(昭和40年代製)が2台、プレジデント(平成9年製)、Be-1、エクストレイル(平成19年製)の計6台の日産車が納められている。清水さんが現在日常的に乗っているのはプレジデントとエクストレイル、そして自宅敷地内に駐めているリーフで、セドリックやシルビアに乗ることは今は無いというが、そのデザインの斬新さは目を見張るものがある。もし今これらの車が町を走っていたら道行く人々が皆振り返るに違いない。シルビアは同じ車が2台あるが、1台は部品取り用だという。なんとも贅沢な話に驚く。 「シルビアは製造台数が554台しかなく希少価値の高い車だったので、コレクションして楽しんでいました。当時ドイツのデザイナーが設計し、シルビアという名前はギリシャ神話に登場する女神の名前から付けられました。つなぎ目の無い手作りの車で、今では考えられないような贅沢な作りだったと思います。」現役社員時代の思い出 昭和40年の入社以来ずっと営業畑を歩んできた清水さん。冷房の無いトラックに乗って営業先を廻っていたころは、車が売れる時代だったという。 「夏は暑いのでトラックの窓を全開にして52号線を走り、ホコリだらけになった体を富士川でザブザブと洗って営業先へ行ったのは良い思い出です。昭和40年代は山梨で日産のシェアが40%を占めていて、車がよく売れて忙しかったです。特に印象に残っているのは、セドリック230が発売された時です。4ドアハードトップのスタイルが新しく採用されとにかく人気で、製造が追いつかないのでお客さまが『うちに譲ってくれ』とお願いに来るほどでした。営業先から帰って来ると、受注のメモ書きが机に何枚も置いてあり、セドリックを1日5台受注したこともあったという、夢のような良い時代でした。」今も変わらず日産の応援団 清水さんが退職後も日常生活で3台の日産車に乗り、今なお日産の応援団でい続けるのは、やはり日産の車の良さを熟知し誇りに思うからだろう。 「リーフは力があり高速安定性や乗り心地もとても良いです。近い将来、日本ではEVが主流となると思います。日産は昔から『技術の日産』とよく言われるように、性能、パワー、乗り心地の全てを追求しこだわって真面目に車を作ってきました。そういう意味では職人気質と言えるでしょう。そして過去にターボや6気筒エンジンを導入した時のように、時流の変化に対応した取り組みの早さも日産のとりえと言えます。だから現役時代も、甲斐日産がお客さまにご案内しているのはとても良い車なのだと自負していました。若手社員の方々にも是非日産の良いところをたくさん知ってもらい自信を持って仕事に取り組んでほしいと思います。」OB清水武人さん甲斐日産激レアお宝!超貴重な名車を拝見Vol.01SILVIA & CEDRIC シルビア(初代)CSP311型は1965年から68年まで554台のみ生産された。継ぎ目を極力減らしたボディパネルなどルックスの美しさが特徴的で、社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」に選出されている。 セドリック(初代)30型系は1960年から65年まで生産された。ラップアラウンドウィンドウと呼ばれるサイドに回り込んだフロントシールドや、縦型デュアルヘッドランプなど、アメリカ車の影響を受けたスタイルが特徴。22 | KAI NISSAN 60th Anniversary