ブックタイトル甲斐日産60th
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甲斐日産60th
お客様紹介甲斐日産夢を叶えてくれる最良の道具 昭和50年、社会人となって最初の赴任地だった富士吉田まで通勤するためサニーB110(1200cc)を購入したのが渡邉さんの日産車との出会いだ。翌年にはもう少し大きい車に乗りたいと、ローレルC130に乗り換える。この時から甲斐日産との付き合いが始まった。走行距離16万kmになり、昭和57年ローレルC31LD28に乗り換える。この車で生後7ヵ月のご長女を連れ九州一周旅行もした。走行距離9万kmになり、昭和61年、ローレルC32RD28に乗り換えて走行距離12万kmになる。ディーゼル車2台の後平成6年、セドリックY31に乗り換える。15年間乗り、走行距離は何と28万kmに達している。その後平成20年にフーガのガソリン車、平成23年にフーガのハイブリッド車(走行距離18万km)、そして平成30年6月から現在のフーガのハイブリッド車に乗っている。 いずれの車も走行距離が並外れて長いことに驚く。平均して年間2万5~6千km走っていて、渡邉さんの日常がいかに車と共にあるかが想像できる。ここまで車好きになったのには、渡邉さんの好奇心の強さから生じた旅好きが昂じているようだ。 「子どもの頃から地理的なことに興味があり、何かを求めてどこかに行ってみたいという探究心が強くありました。中学生のころから自転車で県内を走り回り、やがてそれがバイクになり、車になった。免許を取ったその日に、舗装もしていない砂利道の「酷道」と呼ばれた野辺山を越えて長野県の上田まで走ったのを覚えています。大きい車に乗るようになったら、もうとどまる所を知らない。だから私にとって車は、未だ見ぬ何か夢のようなものを叶えてくれる最良の道具なんです。」特に思い出深いセドリックY31 これまで乗った車で特に印象深いのは、やはり長く乗ったセドリックY31だという。ちょうど子育ての時期にも重なって、陸路とフェリーを乗り繋いで国内の様々な所へ家族旅行に出かけたそうだ。 「この車はコラムシフトだったので前席に3人座れて、定員6人で広々していたのが気に入っていました。セドリックでの最初の家族旅行は四国でとても思い出深いです。私は学生時代にシベリア鉄道でバイカル湖まで旅をしたことがあり、セドリックに別れを告げる最後に日本海を渡ってウラジオストクからシベリア鉄道沿いにロシアを横断し、ヨーロッパを通ってポルトガルのロカ岬まで走りたい、とずっと思っていましたが、残念ながら果たせぬ夢となりました。」 子どもの頃からラジオ少年で機械ものや電気いじりに興味があった渡邉さんは、昭和町在住 渡邉晴夫さんご夫妻 社会人になって最初に購入したサニーに始まり、以来ずっと渡邉さんは日産車に乗り続けている。気付けば日産ファンになっていた、と言えばそれは偶然のことのようだが、渡邉さんの日産と歩んで来た約半世紀近くになる日々を振り返ってみれば、それは必然のことなのだと腑に落ちる。日産車は人生の伴侶こだわりの2台目に乗ったローレルC130平成20年にセドリックY31からフーガガソリン車に乗り換え新築されたご自宅の図面をもとに渡邉さんご自身で制作された模型に日産車のミニカーが・・・ここにも日産愛があふれている20 | KAI NISSAN 60th Anniversary